KOTOBAYA ブログ

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令和元年の幕開けです 00:11
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    いよいよ「令和元年」となりました。改元に関連するさまざまな行事と、それに伴う各地での盛り上がりを目にするにつけ、元号が日本人に深く浸透していることをあらためて実感いたしました。私も先般、初めて「令和元年」の日付を入れてお客さまに書類をお送りしましたときに、「おおー!」と不思議な感慨を覚えたところです。少し迷いましたが、やはり西暦ではなく元号での表記とさせていただくことにいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

     

    超大型連休も終わり、それぞれの事業所さまでも通常の業務に入られたことと存じます。KOTOBAYA反訳も相変わらず元気に営業していますので、今後とも引き続きお引き立てのほどどうぞよろしくお願いいたします。良い時代といいますのは空から降ってくるのではなく、一人一人ができることをやっていくことで創造されることは言わずもがなでございますが、私もいくばくか社会のお役に立てたらいいなと思っています。

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    2019年ゴールデンウィーク中の営業につきまして 18:49
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      平素はご利用いただきありがとうございます。

       

      2019年のゴールデンウィーク中の業務についてですが、基本的に営業しております。ただ、すでに対応枠がふさがっている日が多くなってございまして、即日の対応が難しい状況でございます。つきましては、当該期間に素材をお預かりすることは可能ですが、お納めは連休明けとなりますので、何とぞご了承くださいませ。なお、緊急の場合はできる限りの対応をさせていただきますのでご相談ください。7日からは平常営業となります。

       

      令和の時代になりましても、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!!!

       

       

       

       

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      おかげさまでKOTOBAYAは10周年を迎えました 21:54
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        KOTOBAYA反訳は2019年1月で10周年を迎えることができました。これもひとえにお客さまのご支援の賜と心より感謝しているところでございます。本当にありがとうございます。これを機に気持ちも新たにいたしまして、さらにご満足いただけるよう誠心誠意努力してまいる決意でございます。今後とも倍旧のお引き立てを賜りますよう伏してお願い申し上げます。

         

        振り返りますと、本当に会社としてやっていけるのかどうか不安でいっぱいだった創業当時のことが鮮明に思い出されます。この間、本当にいろいろなことがございました。いつも心を込めて作業させていただいているつもりではございますが、中には私が未熟なばかりに十分にご要望にお応えできなかったこともございました。今となれば、もっとこうすればよかった、ああすればよかったと反省することも多くございます。特に、納期や録音状態の関係でお引き受けがかなわず、不調法がございましたお客さまには、心よりお詫び申し上げます。

         

        しかし、そのような負の経験は貴重な学びとなり、自省を促し、成長させていただいたことに気づかされます。また、お客さまのお役に立てる喜びは格別で、1本仕上げるたびに深い充実感を味わわせていただいています。これはまさに本を1冊読み終えた、あの満ち足りた気持ちとよく似ていまして、この仕事の最大の魅力だと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

         

        はからずも、先日のNHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」の中で、三田村さん(大阪商工会の会長)が「創業者にとって会社は子どもみたいなものだ」とおっしゃっていましたが、本当にそのとおりだと思います。しかし、会社育ても子育てと同じく一筋縄ではいかないのも事実で、まだまだ悪戦苦闘中です。

         

        10周年を迎えたことを好機としまして、これからの10年、そしてその先と、いつでも精いっぱいだったと胸を張れるように精進してまいります。今後ともご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

         

         

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        「固い」か「硬い」か「堅い」かなんて、かたいこと言わずに〜 02:13
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          「カタイ」を漢字に直すとき、わかっているつもりでも、どれを使えばいいかちょっと迷ったりしませんか? そんなときは、反対の言葉から考えるのが基本です。

          「固い」の反対は「ゆるい」です。
          「堅い」の反対は「もろい」です。
          「硬い」の反対は「やわらかい(軟)」です。

          確かにそう言われればわかったような気になりますが、例えば「カタイ」ご飯の場合、おかゆにしたら「やわらかい」のでしょうか、「ゆるい」のでしょうか。「カタイ」クッキーの反対というと、湿気って「やわらかい」ものもあれば、「もろい」のだってありますよね。

          そもそも、「カタイ」表情とか「カタイ」人物という場合、反対の言葉があてはまらないものもあります。そこで、『用事用例辞典』では「固い」だけが漢字表記で、「堅い」と「硬い」はどちらも「かたい」とひらがなで書くことになっています。議事録なんかの場合ですね。間違えたくない場合はこれでいっちゃいましょうか。

          それでもいいのですが、ちゃんと漢字で書きたいという場合、もうちょっと考えていきましょう。

          「固い」は一般的な表記です。結んだひもを力いっぱい引っ張ってみてください。もうほどけませんよね。こんなふうにくっついて動いたりしないのが「固い」のイメージです。
          ・固い握手 ・財布のひもが固い ・辞意が固い

          「堅い」は押してみましょう。中身が詰まっているのが「堅い」です。また、まじめであるとか、比較的いい意味で使われることが多いですね。
          ・堅焼きせんべい ・お堅い仕事 ・当選は堅い

          「硬い」の場合はさわってみましょう。こわばっていたら、それは「硬い」です。人が緊張している場合にも使われます。硬度というように、高密度の物質にも用いられます。
          ・硬い革 ・硬い表情 ・緊張で硬くなる

          なんとなく雰囲気は伝わったでしょうか。よけいにわからなくなったって? ごめんなさいね。それでは、共同通信社の『記者ハンドブック』にかなりの行数を割いてそれぞれの用例が示されてますから、ここにすべてを挙げておきますね。あてはめて使うのがいちばんいいかもしれません。

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          以下、『新聞用字用語集 記者ハンドブック』(共同通信社 第12版)より

          ○固い(確固、固形、融通がきかない、緩いの対語)
          頭が固い、意志・志が固い、固い握手、固い絆、固い決意、固いことを言わずに、固い約束、固い友情、固織り、固く戒める、固く禁じる、固く辞退、固く信じる、固く握りしめる、固く念を押す、固く守る、固練り、固太り、口を固く閉ざす、財布のひもが固い、辞意が固い、地盤が固い、団結が固い

          ○堅い(手がたく堅実、確実、もろいの対語)
          お堅い役所、織り目が堅い、ガードが堅い、堅い果実、堅い炭・木材、堅い話(確実な内容)堅いパン、堅い守り、堅気になる、堅苦しい、堅物、堅焼き、考え方が堅い、義理堅い、口が堅い、合格・当選・優勝は堅い、勝率8割は堅い、底堅い動き(経済用語)、つぼみが堅い、手堅い商売

          ○硬い(こわばった様子、軟の対語)
          硬い石・鉛筆・氷・布地・皮革、硬い皮膚、硬い表現、硬い文章、硬い飯、硬い目つき、硬さがほぐれる、選手が硬くなる、態度が硬い、手ざわりが硬い、話が硬い、表情が硬い、骨が硬い、身のこなしが硬い

           
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          「恐い」と「怖い」は使い分けるべきなの? 04:30
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            「コワイ」というと、「恐い」と「怖い」の2種類の表記を見かけますが、これってどう違うんでしょうか。

            ・コワイ顔をしたおじさん
            ・試験の結果を見るのがコワイ

            たいていの人が、上は「恐い」、下は「怖い」を当てはめるのではないでしょうか。

            ・恐い顔をしたおじさん
            ・試験の結果を見るのが怖い

            「恐い」は外見的に恐怖感や威圧感を与えるような場合に使われるようです。仁王像のように誰が見ても恐い場合です。ただ、あくまで見てくれが恐ろしいだけであって、恐い顔のおじさんが、実は優しいことだってありますよね。

            一方で、「怖い」は自分の内面的な感情としてよく使われます。試験の結果を見るのが自分は怖いけれども、楽しみな人もいるでしょうね。また、幸せすぎて怖いなんていうこともあり得ます。お化けは、外見が恐ろしくなくても怖いものですよね。

            しかーし

            実は、「恐い」というのは常用漢字表のどこを見ても見当たりません。「怖い(コワイ)」はありますが「恐い(コワイ)」とは読ませていないのです。「恐怖」は「恐」と「怖」の熟語ですが、「コワイ」と思ったら、それは「怖い」と書くか、「こわい」と平仮名にしておいたほうがいいようです。どうしても「恐」を使いたければ「恐ろしい」にするとかね。

            ただ、常用漢字は一応の目安であって、私的に書くものに表外音訓を使う分にはなんら問題はありません。近代文学作品なんて当て字のオンパレードですが、その字を使わないと表せないようなニュアンスというものがありますよね。「恐い鬼の面」と「怖い鬼の面」では、伝わるものが明らかに違うのではないでしょうか。

            それに、「恐い」と「怖い」の使い分けはどうも一般的に定着してきてしまっているようなので、むしろ常用漢字のほうを見直して、「恐い」を「こわい」と読むのを認めればいいのになと思ったりしています。ワープロソフトで変換すると、普通に「コワイ」で「恐い」と「怖い」が出てくるのですから、当然そうなりますよね。


            ところで、福島弁では、疲れたことを「こわい」と言います。「急いで来たから、ああ、こわい、こわい」などと使います。もう高齢者の方しか言わなくなってしまいましたが、どうして疲れたが「こわい」なのかなと不思議です。もしかしたら心臓がばくばくする感じが「恐怖」と似ているからかもなのしれませんね。

             
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            「下りる」「降りる」どっちでもいいか? 19:21
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              同音異義語って難しいですよね。自分が話しているときだって、いちいち頭の中で漢字に置き換えないで話していることがたくさんありますからね。


              例えば、坂を「のぼる」とき、普通だったら「上る」です。階段だって「上って」いきます。でも、登板車線なんてものもありますし、山寺の険しい階段だったら「登る」のほうがしっくりきますよね。「上る」に比べて「登る」には苦労がくっついているように思います。それに「登壇」とか「登場」なんて言葉があるように、「登る」は特別な場所に向かっている雰囲気がありますね。


              さて、坂道を「上って」きたら、今度は「下る」わけですが、山を「登って」きたときも、帰りは「下る」になります。「登山」のとき、帰りは「下山」ですからね。学校に行くときも「登校」しますが、帰りは「下校」です。学校というのは「登る」ほど特別な場所なんでしょうかね。


              学校といえば、子どもたちが出入りするところを「昇降口」といいますが、これってなぜなのでしょう。げたを履いていなくても「げた箱」、筆を入れていなくても「筆箱」、緑色でも「黒板」ですから、とかく学校というのは古い歴史と文化がありそうです。


              さて、「昇る」というのは、「上る」とも「登る」とも違って、「日が昇る」とか「エレベーターで昇る」とか、空間を超えていくときに使います。地続きになっていないわけです。


              反対に下のほうに行くときは、エレベーターで「下りる」わけですが、エレベーターという乗り物から外に出るときには「降りる」になります。乗り物の場合は「乗り降り」ですからね。


              そうかと思っていると、「乗車」に対して「下車」と言ったりしますから、もう、これは「降りる」でも「下りる」でもいいような気がしてしまいます。

              ただ、イメージとしては、「飛び降りる」とか「舞い降りる」のように、もといた場所と着地する場所に連続性があるかどうかなのかもしれません。自分の一連の動きとしては、駅で「下りる」となり、電車という乗り物からは「降りる」って感じでしょうか。


              こう考えてくると、「上る」と「登る」と「昇る」(「下りる」「降りる」)の使い分けをはっきりさせようなんてことは、状況を把握している本人以外は無理であるし、どっちでもいいよ〜ぐらいの広い気持ちで使うのがいいようです。何だよ、結局そこに落ち着くのかよ! とツッコまれそうですが、言葉ってものは思ったより包容力がありそうですからね。

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              「現状維持」と「原状回復」 18:47
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                 「げんじょう」には「現状」と「原状」がありますが、私たちが圧倒的に多く目にするのは「現状」のほうではないでしょうか。そのため、「原状」とすべきところを、ついつい「現状」と書いてしまいがちなので注意が必要です。


                現状:今ある状態
                原状:初めにあった状態


                「現状」は現在の状態ですから、今のままを維持したいときには「現状維持」、このままではまずいときには「現状打破」などと使われます。


                一方で、「原状」というのは初めにあった状態のことですから、アパートを引き払うときなど、最初と同じようにしてくださいねというときは「原状回復」となります。



                除染して「げんじょう復帰」させようとするときに、間違って「現状復帰」としてしまうと、汚染された今の状態をまた戻すという意味になってしまいおかしなことになってしまいます。ここは「原状復帰」させるわけですね。



                それにしても、除染作業をされている皆さんのご苦労といったら、本当に大変なことだと思います。特に今年の夏は猛暑でしたので、作業員さんたちの姿を拝見しながら、エアコン付きの屋内で仕事ができる私は、彼らの3倍働かないといけないと自分に喝を入れていました。これからは逆に寒くなって、別の意味で厳しくなりますね。作業員の皆さんの安全を心からお祈りしています。

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                放射能汚染と「戦う?」「闘う?」「たたかう?」 03:02
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                  「たたかう」には「戦う」と「闘う」があります。どちらも日常的に使われますが、さて「放射能汚染とたたかう」といったときにはどちらを使えばいいでしょうか。


                  「戦う」というのは勝ち負けを争うことです。戦争だけではなく、スポーツ競技でも相手と戦いますし、選挙だって対立候補と戦います。勝つか負けるか結果が重要になるときは「戦う」わけです。


                  「闘う」は、労使闘争に代表されるように、利害が対立する相手から望むものを勝ち取る場合によく使われます。また、勝敗そのものよりも、むしろ負けない気持ち、屈しない強い心を表す比喩的な表現として、病気と闘う、困難と闘う、貧困と闘う、といったように用いられます。


                  放射能汚染の場合は、負けないぞという意味なら「闘う」がふさわしいと思いますが、損害賠償訴訟など、どうしても勝たなければならない、そのために準備や努力をしてきたような場合には「戦う」にしたほうがよいと思われます。


                  「戦う」は一般的な表記法なので、どっちか迷ったら、とりあえず「戦う」で問題ないと思いますが、特に意味を限定しないときにはひらがなも便利です。睡魔や食欲などの生理現象とは「闘う」わけですが、相手がかわいらしいので、あまり深刻さを出したくないときはひらがなにしたほうが落ち着きがいい場合もありますね。私の場合、睡魔や食欲には、たたかわずにあっさり負けてあげてしまう毎日です(汗)。

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                  あなたは青い鳥を「探しますか」「捜しますか」 02:09
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                    「ねえ、わたしたち、もう一度だけ青い鳥を探してみない?」
                    「ねえ、わたしたち、もう一度だけ青い鳥を捜してみない?」


                    破局を迎えそうなカップル、涙をこらえながら女性が男性にこんな提案をしたとします。さて、みなさんはそれぞれどんなシチュエーションを想像するでしょうか。


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                    「さがす」には「探す」と「捜す」がありますね。


                    「探す」は、自分が欲しいものをさがす場合に使われます。職を探したり、部屋のイメージに合う家具を探したり、引っ越し先で住む家を探したりするわけです。


                    「捜す」は、見えなくなったものをさがしだす意味で、落し物を捜したり、置き忘れたお財布を捜したり、行方不明者を捜したりします。


                    二者の違いは、「確かに存在していたものかどうか」です。さっきまで使っていた眼鏡が見当たらないときは「捜す」わけですが、自分に似合うおしゃれな眼鏡を買いたいときは「探す」ことになりますね。



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                    さて、最初の例文に戻ってみましょう。「青い鳥を捜す」というと、その青い鳥は必ずいたということが前提になります。もしかしたら、飼っていた鳥が逃げてしまったのかもしれません。


                    一方、「青い鳥を探す」というと、青い鳥とこのカップルの間にまだ直接の接点がないことがわかります。これから飼いたいと思っているのか、あるいは森の中にいる青い鳥を観察したいのか、いろんな状況が想定されます。


                    しかーし! 破局を迎えそうなカップルの会話で、涙をこらえながら女性が発した言葉というのですから、彼女が使った「青い鳥」は、幸せの象徴としての「青い鳥」に違いありません。


                    するとどういう意味になるでしょう。「青い鳥を探してみない?」といったときには、お互い歩み寄って幸せになるための努力をしてみましょうという提案です。一方、「青い鳥を捜してみない?」の場合には、過去にとってもうまくいっていた時期があって、またあの幸せな日々を取り戻したいという気持ちをうかがい知ることができます。


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                    「探す」「捜す」でいろいろな背景を文章に込めるような文芸作品のような使い方が個人的には好きですが、実際には、それが「探す」のか「捜す」のかは本人でないとわからないことがあります。確かに書き言葉ではなく話し言葉の場合、彼女が言ったのは「探す」なのか「捜す」なのか分かりませんよね。


                    それで、表記の用例集では、「捜す」は捜査や捜索の意味に限定し、ほかは「探す」を用いることにしています。特殊な場合でない限り、「探す」でOKというわけです。さて、あなたは青い鳥を「探しますか」「捜しますか」

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                    「気遣い」と書くべきかなと「気を使う」 18:02
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                      どうしてなのかわからないけれども、決まりだから従っていることってありませんか? 学校の規則とか、冠婚葬祭のルールとか、深く考えるとかえって混乱するから、とりあえず従っておいたほうが無難かなということは確かにありますよね。


                      言葉を扱う仕事をしていても似たようなことがあります。その例が「使」と「遣」です。例えば、「気を使う」「お金を使う」「言葉を使う」など、動詞のときは「使」を用いますが、「気遣い」「金遣い」「言葉遣い」など、ほかの言葉とくっついて名詞なると「遣」を用いることになっています。これは決まりとしてそうなっているのですが、では、どうしてそうなのかについて、私は明解に説明することができません(汗)。


                      気を使う  →  気遣い
                      金を使う  →  金遣い
                      言葉を使う →  言葉遣い
                      上目を使う →  上目遣い

                      ニュアンスとしては


                      気を使う:「気」を「使用する/用いる」 (動作)
                      気遣い :「気」を「配る/配慮する」  (心)


                      言葉を使う:「言葉」を「使用する/用いる」 (動作)
                      言葉遣い :「言葉」を「配る/配慮する」  (心)


                      このような感じでしょうか。ただ、「気遣い」であれば、「気遣えば」「気遣うとき」のように動詞になることができます。


                      名詞になっているにもかかわらず、「使」がそのまま用いられるものもあります。これはやはり「使用する/用いる」という意味合いが強いもののようです。

                      ○魔法使い  ×魔法遣い
                      ○猛獣使い  ×猛獣遣い
                      ○召し使い  ×召し遣い
                      ×蛇使い   ○蛇遣い


                      でも、「魔法使い」「猛獣使い」ときて、なぜか「蛇遣い」になるところが謎ですよね。例外は多くないので別に困るほどではないのですが、どうもすっきりしないところがあります。


                      この混乱は、一昔前の当用漢字において「遣」の読みが制限された経緯があるからなのだそうですが、これについては、そういう決まりになっているということにとどめたまま、今日も決まりに従って仕事をするのでありました。チャンチャン。

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