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KOTOBAYA ブログ

「固い」か「硬い」か「堅い」かなんて、かたいこと言わずに〜
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    「カタイ」を漢字に直すとき、わかっているつもりでも、どれを使えばいいかちょっと迷ったりしませんか? そんなときは、反対の言葉から考えるのが基本です。

    「固い」の反対は「ゆるい」です。
    「堅い」の反対は「もろい」です。
    「硬い」の反対は「やわらかい(軟)」です。

    確かにそう言われればわかったような気になりますが、例えば「カタイ」ご飯の場合、おかゆにしたら「やわらかい」のでしょうか、「ゆるい」のでしょうか。「カタイ」クッキーの反対というと、湿気って「やわらかい」ものもあれば、「もろい」のだってありますよね。

    そもそも、「カタイ」表情とか「カタイ」人物という場合、反対の言葉があてはまらないものもあります。そこで、『用事用例辞典』では「固い」だけが漢字表記で、「堅い」と「硬い」はどちらも「かたい」とひらがなで書くことになっています。議事録なんかの場合ですね。間違えたくない場合はこれでいっちゃいましょうか。

    それでもいいのですが、ちゃんと漢字で書きたいという場合、もうちょっと考えていきましょう。

    「固い」は一般的な表記です。結んだひもを力いっぱい引っ張ってみてください。もうほどけませんよね。こんなふうにくっついて動いたりしないのが「固い」のイメージです。
    ・固い握手 ・財布のひもが固い ・辞意が固い

    「堅い」は押してみましょう。中身が詰まっているのが「堅い」です。また、まじめであるとか、比較的いい意味で使われることが多いですね。
    ・堅焼きせんべい ・お堅い仕事 ・当選は堅い

    「硬い」の場合はさわってみましょう。こわばっていたら、それは「硬い」です。人が緊張している場合にも使われます。硬度というように、高密度の物質にも用いられます。
    ・硬い革 ・硬い表情 ・緊張で硬くなる

    なんとなく雰囲気は伝わったでしょうか。よけいにわからなくなったって? ごめんなさいね。それでは、共同通信社の『記者ハンドブック』にかなりの行数を割いてそれぞれの用例が示されてますから、ここにすべてを挙げておきますね。あてはめて使うのがいちばんいいかもしれません。

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    以下、『新聞用字用語集 記者ハンドブック』(共同通信社 第12版)より

    ○固い(確固、固形、融通がきかない、緩いの対語)
    頭が固い、意志・志が固い、固い握手、固い絆、固い決意、固いことを言わずに、固い約束、固い友情、固織り、固く戒める、固く禁じる、固く辞退、固く信じる、固く握りしめる、固く念を押す、固く守る、固練り、固太り、口を固く閉ざす、財布のひもが固い、辞意が固い、地盤が固い、団結が固い

    ○堅い(手がたく堅実、確実、もろいの対語)
    お堅い役所、織り目が堅い、ガードが堅い、堅い果実、堅い炭・木材、堅い話(確実な内容)堅いパン、堅い守り、堅気になる、堅苦しい、堅物、堅焼き、考え方が堅い、義理堅い、口が堅い、合格・当選・優勝は堅い、勝率8割は堅い、底堅い動き(経済用語)、つぼみが堅い、手堅い商売

    ○硬い(こわばった様子、軟の対語)
    硬い石・鉛筆・氷・布地・皮革、硬い皮膚、硬い表現、硬い文章、硬い飯、硬い目つき、硬さがほぐれる、選手が硬くなる、態度が硬い、手ざわりが硬い、話が硬い、表情が硬い、骨が硬い、身のこなしが硬い

     
    | - | 02:13 | - | - | - | - |
    「恐い」と「怖い」は使い分けるべきなの?
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      「コワイ」というと、「恐い」と「怖い」の2種類の表記を見かけますが、これってどう違うんでしょうか。

      ・コワイ顔をしたおじさん
      ・試験の結果を見るのがコワイ

      たいていの人が、上は「恐い」、下は「怖い」を当てはめるのではないでしょうか。

      ・恐い顔をしたおじさん
      ・試験の結果を見るのが怖い

      「恐い」は外見的に恐怖感や威圧感を与えるような場合に使われるようです。仁王像のように誰が見ても恐い場合です。ただ、あくまで見てくれが恐ろしいだけであって、恐い顔のおじさんが、実は優しいことだってありますよね。

      一方で、「怖い」は自分の内面的な感情としてよく使われます。試験の結果を見るのが自分は怖いけれども、楽しみな人もいるでしょうね。また、幸せすぎて怖いなんていうこともあり得ます。お化けは、外見が恐ろしくなくても怖いものですよね。

      しかーし

      実は、「恐い」というのは常用漢字表のどこを見ても見当たりません。「怖い(コワイ)」はありますが「恐い(コワイ)」とは読ませていないのです。「恐怖」は「恐」と「怖」の熟語ですが、「コワイ」と思ったら、それは「怖い」と書くか、「こわい」と平仮名にしておいたほうがいいようです。どうしても「恐」を使いたければ「恐ろしい」にするとかね。

      ただ、常用漢字は一応の目安であって、私的に書くものに表外音訓を使う分にはなんら問題はありません。近代文学作品なんて当て字のオンパレードですが、その字を使わないと表せないようなニュアンスというものがありますよね。「恐い鬼の面」と「怖い鬼の面」では、伝わるものが明らかに違うのではないでしょうか。

      それに、「恐い」と「怖い」の使い分けはどうも一般的に定着してきてしまっているようなので、むしろ常用漢字のほうを見直して、「恐い」を「こわい」と読むのを認めればいいのになと思ったりしています。ワープロソフトで変換すると、普通に「コワイ」で「恐い」と「怖い」が出てくるのですから、当然そうなりますよね。


      ところで、福島弁では、疲れたことを「こわい」と言います。「急いで来たから、ああ、こわい、こわい」などと使います。もう高齢者の方しか言わなくなってしまいましたが、どうして疲れたが「こわい」なのかなと不思議です。もしかしたら心臓がばくばくする感じが「恐怖」と似ているからかもなのしれませんね。

       
      | - | 04:30 | - | - | - | - |
      「下りる」「降りる」どっちでもいいか?
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        同音異義語って難しいですよね。自分が話しているときだって、いちいち頭の中で漢字に置き換えないで話していることがたくさんありますからね。


        例えば、坂を「のぼる」とき、普通だったら「上る」です。階段だって「上って」いきます。でも、登板車線なんてものもありますし、山寺の険しい階段だったら「登る」のほうがしっくりきますよね。「上る」に比べて「登る」には苦労がくっついているように思います。それに「登壇」とか「登場」なんて言葉があるように、「登る」は特別な場所に向かっている雰囲気がありますね。


        さて、坂道を「上って」きたら、今度は「下る」わけですが、山を「登って」きたときも、帰りは「下る」になります。「登山」のとき、帰りは「下山」ですからね。学校に行くときも「登校」しますが、帰りは「下校」です。学校というのは「登る」ほど特別な場所なんでしょうかね。


        学校といえば、子どもたちが出入りするところを「昇降口」といいますが、これってなぜなのでしょう。げたを履いていなくても「げた箱」、筆を入れていなくても「筆箱」、緑色でも「黒板」ですから、とかく学校というのは古い歴史と文化がありそうです。


        さて、「昇る」というのは、「上る」とも「登る」とも違って、「日が昇る」とか「エレベーターで昇る」とか、空間を超えていくときに使います。地続きになっていないわけです。


        反対に下のほうに行くときは、エレベーターで「下りる」わけですが、エレベーターという乗り物から外に出るときには「降りる」になります。乗り物の場合は「乗り降り」ですからね。


        そうかと思っていると、「乗車」に対して「下車」と言ったりしますから、もう、これは「降りる」でも「下りる」でもいいような気がしてしまいます。

        ただ、イメージとしては、「飛び降りる」とか「舞い降りる」のように、もといた場所と着地する場所に連続性があるかどうかなのかもしれません。自分の一連の動きとしては、駅で「下りる」となり、電車という乗り物からは「降りる」って感じでしょうか。


        こう考えてくると、「上る」と「登る」と「昇る」(「下りる」「降りる」)の使い分けをはっきりさせようなんてことは、状況を把握している本人以外は無理であるし、どっちでもいいよ〜ぐらいの広い気持ちで使うのがいいようです。何だよ、結局そこに落ち着くのかよ! とツッコまれそうですが、言葉ってものは思ったより包容力がありそうですからね。

        | - | 19:21 | - | - | - | - |
        「現状維持」と「原状回復」
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           「げんじょう」には「現状」と「原状」がありますが、私たちが圧倒的に多く目にするのは「現状」のほうではないでしょうか。そのため、「原状」とすべきところを、ついつい「現状」と書いてしまいがちなので注意が必要です。


          現状:今ある状態
          原状:初めにあった状態


          「現状」は現在の状態ですから、今のままを維持したいときには「現状維持」、このままではまずいときには「現状打破」などと使われます。


          一方で、「原状」というのは初めにあった状態のことですから、アパートを引き払うときなど、最初と同じようにしてくださいねというときは「原状回復」となります。



          除染して「げんじょう復帰」させようとするときに、間違って「現状復帰」としてしまうと、汚染された今の状態をまた戻すという意味になってしまいおかしなことになってしまいます。ここは「原状復帰」させるわけですね。



          それにしても、除染作業をされている皆さんのご苦労といったら、本当に大変なことだと思います。特に今年の夏は猛暑でしたので、作業員さんたちの姿を拝見しながら、エアコン付きの屋内で仕事ができる私は、彼らの3倍働かないといけないと自分に喝を入れていました。これからは逆に寒くなって、別の意味で厳しくなりますね。作業員の皆さんの安全を心からお祈りしています。

          | - | 18:47 | - | - | - | - |
          要綱と要項、そして要領
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            「要綱」「要項」「要領」、聞いただけで文字だらけの難しい文書を思い浮かべてしまいますが、それぞれどのような使い分けがされているのか、行政側の方でないとなかなかわかりにくいこともありますよね。


            「要綱」:基本となる大切な事柄。また、それらをまとめたもの。
            「要項」:大切な事柄。必要な事項。また、それを記した文書。
            「要領」:物事の最も大事な点。要点。

            意味を調べてみても、上記のようにあまり違いがはっきりしません。


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            まず、「要綱」ですが、「綱」というのは太くて強いイメージがありますね。そのとおり、これは物事を統括する大筋を示していて、基本方針や重要事項が述べられています。こんなふうにやりますから従ってください、守ってください、理解してください、といった意味合いのものです。


            一方、具体的な内容を定めているのが「要項」や「要領」ですが、これらはどのように違うのでしょうか。


            「要項」で代表的なものが、入学試験などの「募集要項」ですね。中を開くと、試験科目や募集人員、試験時間や試験会場などが詳しく記されていて、要項をよく読めば一連の手続きを済ませることができるようになっています。このように「要項」は、実施上必要とされる手続きや必要事項等が示されているようです。


            「要領」で代表的なものが「学習指導要領」ですね。これには、どのような教科や活動を、どの学年で、どのように教育するかについて具体的に示されています。また、「あの人は要領がいい」といった言い方からわかるように、うまいやり方やコツなどの意味もあります。つまり要領は、どういうやり方でそれをやらなければならないのかが示されています。


            まとめてみると、事業の大枠や行政政策の枠組みなど、原則的な事柄については「要綱」で定め、実施の際に必要となる事項については「要項」で、具体的な方法であれば「要領」で示すということになりそうです。

            | - | 05:35 | - | - | - | - |
            放射能汚染と「戦う?」「闘う?」「たたかう?」
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              「たたかう」には「戦う」と「闘う」があります。どちらも日常的に使われますが、さて「放射能汚染とたたかう」といったときにはどちらを使えばいいでしょうか。


              「戦う」というのは勝ち負けを争うことです。戦争だけではなく、スポーツ競技でも相手と戦いますし、選挙だって対立候補と戦います。勝つか負けるか結果が重要になるときは「戦う」わけです。


              「闘う」は、労使闘争に代表されるように、利害が対立する相手から望むものを勝ち取る場合によく使われます。また、勝敗そのものよりも、むしろ負けない気持ち、屈しない強い心を表す比喩的な表現として、病気と闘う、困難と闘う、貧困と闘う、といったように用いられます。


              放射能汚染の場合は、負けないぞという意味なら「闘う」がふさわしいと思いますが、損害賠償訴訟など、どうしても勝たなければならない、そのために準備や努力をしてきたような場合には「戦う」にしたほうがよいと思われます。


              「戦う」は一般的な表記法なので、どっちか迷ったら、とりあえず「戦う」で問題ないと思いますが、特に意味を限定しないときにはひらがなも便利です。睡魔や食欲などの生理現象とは「闘う」わけですが、相手がかわいらしいので、あまり深刻さを出したくないときはひらがなにしたほうが落ち着きがいい場合もありますね。私の場合、睡魔や食欲には、たたかわずにあっさり負けてあげてしまう毎日です(汗)。

              | - | 03:02 | - | - | - | - |
              あなたは青い鳥を「探しますか」「捜しますか」
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                「ねえ、わたしたち、もう一度だけ青い鳥を探してみない?」
                「ねえ、わたしたち、もう一度だけ青い鳥を捜してみない?」


                破局を迎えそうなカップル、涙をこらえながら女性が男性にこんな提案をしたとします。さて、みなさんはそれぞれどんなシチュエーションを想像するでしょうか。


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                「さがす」には「探す」と「捜す」がありますね。


                「探す」は、自分が欲しいものをさがす場合に使われます。職を探したり、部屋のイメージに合う家具を探したり、引っ越し先で住む家を探したりするわけです。


                「捜す」は、見えなくなったものをさがしだす意味で、落し物を捜したり、置き忘れたお財布を捜したり、行方不明者を捜したりします。


                二者の違いは、「確かに存在していたものかどうか」です。さっきまで使っていた眼鏡が見当たらないときは「捜す」わけですが、自分に似合うおしゃれな眼鏡を買いたいときは「探す」ことになりますね。



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                さて、最初の例文に戻ってみましょう。「青い鳥を捜す」というと、その青い鳥は必ずいたということが前提になります。もしかしたら、飼っていた鳥が逃げてしまったのかもしれません。


                一方、「青い鳥を探す」というと、青い鳥とこのカップルの間にまだ直接の接点がないことがわかります。これから飼いたいと思っているのか、あるいは森の中にいる青い鳥を観察したいのか、いろんな状況が想定されます。


                しかーし! 破局を迎えそうなカップルの会話で、涙をこらえながら女性が発した言葉というのですから、彼女が使った「青い鳥」は、幸せの象徴としての「青い鳥」に違いありません。


                するとどういう意味になるでしょう。「青い鳥を探してみない?」といったときには、お互い歩み寄って幸せになるための努力をしてみましょうという提案です。一方、「青い鳥を捜してみない?」の場合には、過去にとってもうまくいっていた時期があって、またあの幸せな日々を取り戻したいという気持ちをうかがい知ることができます。


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                「探す」「捜す」でいろいろな背景を文章に込めるような文芸作品のような使い方が個人的には好きですが、実際には、それが「探す」のか「捜す」のかは本人でないとわからないことがあります。確かに書き言葉ではなく話し言葉の場合、彼女が言ったのは「探す」なのか「捜す」なのか分かりませんよね。


                それで、表記の用例集では、「捜す」は捜査や捜索の意味に限定し、ほかは「探す」を用いることにしています。特殊な場合でない限り、「探す」でOKというわけです。さて、あなたは青い鳥を「探しますか」「捜しますか」

                | - | 02:09 | - | - | - | - |
                「気遣い」と書くべきかなと「気を使う」
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                  どうしてなのかわからないけれども、決まりだから従っていることってありませんか? 学校の規則とか、冠婚葬祭のルールとか、深く考えるとかえって混乱するから、とりあえず従っておいたほうが無難かなということは確かにありますよね。


                  言葉を扱う仕事をしていても似たようなことがあります。その例が「使」と「遣」です。例えば、「気を使う」「お金を使う」「言葉を使う」など、動詞のときは「使」を用いますが、「気遣い」「金遣い」「言葉遣い」など、ほかの言葉とくっついて名詞なると「遣」を用いることになっています。これは決まりとしてそうなっているのですが、では、どうしてそうなのかについて、私は明解に説明することができません(汗)。


                  気を使う  →  気遣い
                  金を使う  →  金遣い
                  言葉を使う →  言葉遣い
                  上目を使う →  上目遣い

                  ニュアンスとしては


                  気を使う:「気」を「使用する/用いる」 (動作)
                  気遣い :「気」を「配る/配慮する」  (心)


                  言葉を使う:「言葉」を「使用する/用いる」 (動作)
                  言葉遣い :「言葉」を「配る/配慮する」  (心)


                  このような感じでしょうか。ただ、「気遣い」であれば、「気遣えば」「気遣うとき」のように動詞になることができます。


                  名詞になっているにもかかわらず、「使」がそのまま用いられるものもあります。これはやはり「使用する/用いる」という意味合いが強いもののようです。

                  ○魔法使い  ×魔法遣い
                  ○猛獣使い  ×猛獣遣い
                  ○召し使い  ×召し遣い
                  ×蛇使い   ○蛇遣い


                  でも、「魔法使い」「猛獣使い」ときて、なぜか「蛇遣い」になるところが謎ですよね。例外は多くないので別に困るほどではないのですが、どうもすっきりしないところがあります。


                  この混乱は、一昔前の当用漢字において「遣」の読みが制限された経緯があるからなのだそうですが、これについては、そういう決まりになっているということにとどめたまま、今日も決まりに従って仕事をするのでありました。チャンチャン。

                  | - | 18:02 | - | - | - | - |
                  「きずな?」それとも「きづな?」
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                    「新党きづな」でにわかに活発になった絆論議。最初は「新党きずな」とする予定だったものが、途中で語源にこだわって「新党きづな」にすることにしたそうです。さて、これをどう思われるでしょうか。


                    仮名遣いには歴史的仮名遣いと現代仮名遣いがありますが、私たちが現在使用している仮名遣いにおいては、「じ/ず」を本則としながら「ぢ/づ」でもいいとしているものがいくつかあります。例えば、いなずま(稲妻) さかずき(杯) せかいじゅう(世界中) うなずく ゆうずう(融通)などです。これに従えば、「きずな」を本則とするけれども、「きづな」と書いても別にいいということになります。


                    「絆」は、絶つことのできない人と人の結びつきという意味ですが、語源をたどると、動物をつなぎとめる綱(騎綱など)に由来しています。ですから、あえて語源にこだわるというのはどういうことなのだろうと不思議に思いました。


                    あくまで個人的な感想ですが、「きずな」とすることで、窮屈な語源から自由になって、人と人とが心で結びついている新しい意味をそこに持たせることができるように感じられるのですが、いかがなものでしょう。


                    さて、党名はともかくとして、「新党きづな」さんが、人を縛りつける「騎綱」になるのか、それともしっかりと団結した「絆」になるのか、実はそっちのほうが大切なのでしょうね。

                     

                    | - | 11:38 | - | - | - | - |
                    子供、子ども、こども、どれを使いましょうか?
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                       「子供」「子ども」「こども」など、コドモの表記にはいろいろあります。「子」も「供」も常用漢字なので、普通に考えれば「子供」でいいわけですが、「子ども手当」とか「認定こども園」など、政策を決める側でも表記を統一しているわけではありません。


                      私はといえば、実は過去に教職に就いていたことがあるので、「子供」と表記するのはちょっと抵抗があるんです。なぜなら、教育界では「子ども」と書くのが通例だからです。根拠ははっきりしないのですが、たしか「供」というのはお供の意味があって、大人のおまけ扱いは子どもが主役の学校ではふさわしくないと教わった記憶があります。どうやら、それがすっかり刷り込まれてしまっているようです。

                      あるいは別の説もあります。「供」という漢字は小学校6年生で習うので、小学校ではほとんどの期間を「子ども」とまぜ書きにして過ごします。そのため、学校では「子ども」と書くのが一般的になってしまったという説です。本当でしょうか。私が中学校に勤めていたときは、ほとんど「生徒」を使用していましたので、そのあたりの記憶はあいまいです。

                      これと似たようなケースに「才」と「歳」があります。本来であれば「7歳」とか「8歳」と書くべきところを、お子さんに配慮して「7才」「8才」というように画数の少ない漢字を便宜的に使用したところ、それが一般的になってしまったようです。これは学校現場というよりは広く社会の中で使われてきました。すっかり浸透してしまった向きもありますが、もともとは「才」の字に年齢を表す意味はありませんでしたので、大人になったら、ちゃんと「28歳」とか「35歳」と書きたいところです。えっ、私は何歳かですって? それはトップシークレットですよ。

                      いずれにしても、言葉というのはそれぞれいろいろなストーリーを持っているものですね。でも、法律で表記法が決められているわけでも罰則があるわけでもありませんから、固有名詞以外であれば「子供」でも「子ども」でも「こども」でもいいわけです。私は文書作成を仕事にしているのでやはり制約がありますが、そうでなければ、自分が一番しっくりくる表記を用いるのがいいですよね。

                      | - | 02:30 | - | - | - | - |